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Posted by ミリタリーブログ at

2014年12月31日

【赤城】2014年12月28日 S.B.F 定例会

何カ月ぶりの更新でしょーね!

お久しぶりです。いまワタクシ、年末休暇で帰郷しています。

今月28日に、ずっと気になっていた地元赤城山で開催されている定例会にお邪魔させて頂きました。

遅ればせながら当日のことを投稿させて頂きますm(__)m





赤城山の宮城、フラワーパーク近郊にある森林系のフィールドです。

今年最後のゲームに43人の方々が集まりました。

森林系、、、、ダイスキ!!

ナム装に合いますし、ブッシュ戦ってとてもエキサイティン!じゃないですか?

濃いブッシュを見ると興奮するんですよね~

(一部)群馬のゲーマー特有の性癖かもしれませんね!?







ナム比率が高い!

行ったら何人かナムの人がいらっしゃるかもしれないと期待していましたが、こんなに集まるなんて~!

こんなに大勢でナムれるなんて、感無量でした!



ところで、Kingbeeの左足に違和感を感じないでしょうか

視線を感じる…




ざわ…ざわ…


 ( ゜Д゚ )


Σ( ゜Д゚ )



 (i|!゜Д゚i|!)ヒィィィ!!!








お わ か り い た だ け た で し ょ う か


ぷらすたーさんマスクが顔をのぞかせておりますw

モチベーションを高めるのも兼ねて塗装し直してきました♪

新しいものを試すワクワク、サバゲを楽しむのに重要ですよね


しかし、相変わらず不気味だなあ(;一_一)

なんだか良くないことが起こりそうなきがするZE・・・






(i|!゜Д゚i|!)ヒィィィ!!!

ついやってしまいましたw

こっちみんな状態w






マスクについて少々

前の塗装は下地処理もせず厚塗りしただけでしたので、触るだけで塗膜がパリパリ剥がれる酷い状態でした。

なのでまず全体の塗装を剥いで耐水ペーパーで下地を整え、サーフェイサ拭いた後から肌色をスプレー。

いい感じの色になったし塗膜もしっかりしてます、これなら大丈夫そう!

仕上げにドンキのパーティグッズコーナーで買ったおヒゲを付けたら完成。

目玉と相まってなかなかシュールな形相を醸し出してくれていますw

前日の夜中に突貫で行ったおかげで当日はマスクがシンナー臭く大変でした(←ばか






さて!今回はいくつもの素敵な出会いがありました!

フィールドの駐車場で友人と着替えをしてるとき、レギンスを履き終わると違和感を感じました。

やってしもたwこれレギンス方向おかしいw

寝ぼけてたの+1年近くナム装してなかったせいでレギンスの向きすら忘れてしまいました・・・(笑)

えーどっちだっけどっちだっけw誰か他にレギンスはいてるひといないかなーとまわりを見渡していると

ちょうど隣の車で着替えしてる方がレギンス付けてる最中で、チラ見させてもらいました。

「ラッキー助かった!ほらやっぱり外向きだわー!(・・・ん?黒染めファティーグ着てるし、どこかで見たことある顔だなーーーあっ!)」


かめきちさんだ!!

すかさずご挨拶をさせて頂きました。

以前からお会いしたいと思っておりましたので、もうそれはそれはとても光栄でした!



また、しばらくして駐車場に1台の習志野ナンバーの車が入ってきました。

んー・・・習志野?千葉?・・・あー!まさかー!やっぱり!


ナベさんだ!!

はるばる千葉からお越しくださったなんてー!

しかもこの時間にここにいるってなべさん一体何時に千葉出たんだろう(汗)

しかもしかも昨日まで38℃の熱でダウンしていたのだとか(゚△゚;)

なんというバイタリティ・・・恐れ入ります!





(黒染め、STABO、装備、銃、もー全部かっこいい☆)

お2人とも兼ねてからお会いしたいと思っておりましたので

それが帰郷してきたらまさかお2人とも同時にお会いできるなんて!

なんて幸運!!

お昼休みなどに沢山貴重なお話を聞かせて頂くことができました。

SOGコレクターの方々の話とか、装備の話ですとか。本当に貴重でした。

あと、「若いのにすごい!」と猛ヨイショをされてしまいました ∑(゚Д゚)

自分まだまだヒヨコですよ!褒めて頂いても何も出ませんよ!(笑)

かめさんナベさん、お二方とも本当に優しくていい方でした。しかもハンサム///






「あっち、左の薮から攻めてみますかー」







「ああっwヒットー!」

前と横から撃たれてリーコンチーム壊滅(;_;)





今回一番ナムっぽい雰囲気出てたと思うショット!

完全に森の一部になってますよ…!

というか、かめさんマグチェンとっても沢山されてました。

リアカン縛りしてらしたのですね。渋いー!





なべさん今日1日ずーっとショットガンでした!

しかもなべさんまでリアカンだったそうな Σ(゚ロ゚;)

6発だけ!!?

午後は敵になったナベさんからワンショットワンキルの洗礼を浴びましたw

薮を一撃で抜かれました(・_・;)






それから、MINEさん!

フェイスペイントがばっちりキマっててド迫力!(゚ロ゚ノ)ノ

みねさんも確か今年のギフン村に参加されていたのですよね、行きたかったなあああ~

ゲームでは途中、WEのXMをガシャガシャガシャと気持ちよく連発されておられました。

夏までに私がXMを買っていたらそれは間違いなく

MINEさんのせいです(笑)






よーいちさん、タイガーがイカしてます///

あとそのSTABOはもしやEA製なのでは・・・!?

よーいちさんかめきちさんをはじめ、1日ゲームをスムーズに、時折ファニーに進行して下さった皆さま、本当にありがとうございました。

お陰様で私たちも存分にゲームを楽しむことができました。

フィールドも、バリケ多しブッシュ多し♡でとっても楽しかったです。

好きになってしまいました("▽"*)





いちどにこんなに、しかも地元でSOG装備愛好家の方にお会いできたなんて本当に感無量でした。

どうか今後ともよろしくお願いいたします。









(フラッシュ焚いたらオーブが…マスクの呪いかな!滝汗)

高校のころから絡んでる地元の仲良し3人組(3バカトリオ)で記念撮影

ひだりから自分、たむたむ、さかい 帰省するたびにお世話になってます。

帰りを楽しみに待っててくれる仲間がいるというのはホントありがたいことですね。ほっこり。






いつもこんなです。ほんとばかw

フィールド内で敵そっちのけで即興が盛り上がることもしばしばw






新品のバンダナを開封するさかい。

実は彼、今回が初のナム装です。

自分が帰ってくるのに合わせて準備してくれていました。

ありがたいですね!






CISOラックサックも調達していました。

順調にSOG仲間が増えてます。ニヤニヤ






(シールが気になる…本人曰くどうしても剥ぎたくないんだとか)

銃はE1をチョイス。

腰回りの装具はシンプルですが、ラックサックやバンダナ、クリーニングロッドなど

SOGらしく見えるツボを見事に押さえていてとってもクール。

Kingbeeはさかいの今後をひそかに楽しみにしています。






「ちぇけら☆」






「銃持つのめんどwおれ今日これでいいや」

お次は3バカのもうひとり、たむ。

現用から、ナム、WWⅡまでジャンルを問わず何でもがむしゃらに収集する生粋の変態。。。






午前の途中からひょこりと登場したたむ、なんと本当に木の棒で参戦www

午前のゲームではKingbeeの前を木の枝一本でのしのし歩いておりました。なにしにきたんだw






かと思いきや、午後の3チームせん滅戦ではMac10で先陣を切りばっさばっさと相手を仕留めていたり、、、

やる気スイッチ入ると途端に無駄のない洗練された動きで仕事し始める殺戮(デス)マシーンに(・O・;)

正直自分はこのひとに正面の撃ち合いで勝てる気がしませんw





「シュバッ!」

スタートダッシュで森の奥へと消えてゆくデスマシーン(・O・;)





若手3人組のCISOラックサック

ぜんぶ実物のキャンバス生地タイプです。たまらん・・・



今日SOG装備をされていた方の大半がCISOラックサックをお持ちでした。

赤城山にう○こラックサックがこんなに集結してしまうなんて・・!!

しかも事前調整もなしにこんなに!!






これは集合写真を撮らぬわけにはいかぬ!と、パシャリしちゃいました(´ω`)ゞ

いやー、、壮観ですねえ・・・!

皆さまの大切なラックサックを貸して下さって、ありがとうございましたm(__)m

(あとこの中に、北海道のとある青年が使ってたらしいラックサックが混ざっていたのだとか…ほんと世界せまいw)






今回自分は午前中OD、午後黒染めで参加しました。

銃はXM、M16次世代、56式、PPK

(ハンドガン戦でPPKつかったんですが、寒くてガス圧足りず弾が出ず!

 至近距離の敵に190連の中の弾を手で投擲する暴挙に出たのでしたw)

右肩につけてたストロボポーチ、取れちゃった(/_;)

てか、なんというかごちゃごちゃしてますな…装具はもっとシンプルにまとめたいなあ!

キャンティーンポーチ6つで十分かなあ!








最後にSOG装備の全員で集合写真!

こんな贅沢なゲーム、なかなか経験できないですな!

ホントこれてよかったです(゜-゜*)

(なんかひとりだけヨコむいてるw)





重ね重ねになりますが、ご一緒して下さった皆さま

はるばる遠方からお越し下さった方々

先日は楽しい1日を本当にありがとうございました!

また、今回ご予定が合わずお会いできなかった方も、いつかまた必ずお会いしましょうね!

なかなか関東に帰ってこれないかもしれないですが、これからもよろしくお願いいたします。

それでは、よいお年を!  

Posted by ながせ(Kingbee) at 04:00Comments(8)サバイバルゲーム

2014年09月14日

失意の上半期!

私にとって上半期最大の楽しみであったアホカリプス2014ですが、仕事で都合が付かず泣く泣くキャンセルしました(/_;)

皆さんにお会いしたかったです。ホントにホンマに残念でなりません~!

今回私はアホカリどころかリエナクトメントというもの自体が初めてで右も左もわからぬ状態でしたが

準備の段階から沢山の方がご支援して下さりました。本当にありがとうございました!

参加できなかったことは非常に残念でしたけれども、ベテランの方々のご厚意をこんなに頂けてKingbeeは幸せでした。


んで、来年こそは参加できますよーに!






さて、GWぶりに装備と対面です。

新しいコレクションがいくつか増えました。




右下のゴm…フライパン、来年はこれでハムエッグとか小料理でも作りましょう。

ライトウェイトと靴下が手に入ったので一般にもチャレンジしてみたいです。

うんこラックサック。また買ってしまいました。

初期型デッドとのことで、勿体無さすぎてとてもじゃないですがゲームには持っていけないです...w








アホカリ1日目で着るはずだったクラブカミ―ス、「1968年にCCCの配置となった5thSFGのルーキー」という設定で仕上げました。

Kingbeeのネームテープが素敵でしょ!

これらパッチを集めるのに色々な方の力をお借りいたしました。

ですのでとても思い入れのある1着です。感謝感謝です。

そうそう、このファティーグ 上下ともに2ndのデッドなんです(なんてバチ当たりな!)







それと、こんなものが届きました。







これやばい!質感まじぱない!!

部品も揃ったのでこれからアレを再現したいと思います。







それでは 今後も少しずつ、SOGについて記事をまとめて参りますので

鈍足更新になると思いますが、これからも当ブログをよろしくお願いします。










一気に集め過ぎてボーナスが\(゜ロ\)(/ロ゜)/オワター  

Posted by ながせ(Kingbee) at 18:03Comments(10)つぶやき

2014年07月27日

アホカリプスうぃる☆

相変わらずタイトルにも落ち着きのないKingbeeでございます。

休暇も取れたので、今年のアホカリプス2014に参加の予定で準備を進めています。

初参戦でございます。緊張もしますが楽しみですー!

ミリブロや他の方面でかねてから交流してきた方々とも実際にお会いできるので私にとってはとても貴重な2日間になること間違いなしです。

ミギもヒダリもわからない私を準備の段階から強力にサポートしてくださり、そしてどこのウマのホネともわからぬ私をテントに招いて下さった方々にこの場をお借りして厚く御礼申し上げたいと思います。


さて!私の今回の装備はですね




OD GIトランクスで





これ!



やりません、勘弁して下さい(泣)

とあるお方からお借りしたSTABOを着てSOGリーコンマンに扮したいと思います。

8月が楽しみです!  

Posted by ながせ(Kingbee) at 01:16Comments(8)つぶやき

2014年05月10日

SOGリーコンナイフとベン・ベイカー



SOGナイフでググると、Fighting Knifesという1991年に発行された雑誌のPDFを拾うことができると思います。
これはSOG(ナイフメーカーのほう)の社員さんが会社のデスクを整理してたらたまたま見つけたのでPDF化したものらしいです。

http://www.sogknives.com/blog/sog-history.html

ベイカー氏のSOGナイフに関するこれ以上ない貴重な記録が載っているだけでなく
他のCISO支給品にも共通しそうなふんいきを醸し出してる内容もあるので
訳してみました。
伝わりやすいよう意訳した部分も多々ありますがご容赦ください。


【CISO/SOGナイフのサーガ】

(1ページ)

(編集者注釈:SOG“リーコン”ナイフの歴史は今まで謎のベールに包まれていて、憶測も飛び交っていました。われわれFIGHTING KNIFESは、今回SOGリーコンナイフ、そして第5特殊部隊ナイフの生みの親であるベン・ベイカー氏にお話をうかがい、真実を掲載することができ大変光栄です。ベイカー氏の定義と解説に合致したナイフこそが、真のコレクターアイテムとして扱われるに値するのです。そうでないものは模造品やレプリカで、いかなる希少価値や歴史的価値も与えられてはならないのです。)


 1989年にガリー ボイド氏と面会したとき、彼は私たちが1960年代にSOGや5th SFGに対して供給した沢山のナイフやマチェットを見せてくれた。それ以来、彼とFKの編集者はSOGリーコンやSOGナイフに関する謎を解き明かそうと、私を追い続けるようになった。どちらもベトナム戦争のプロジェクトの中で特に秘匿性が高いものだったのである。何しろ26年前も前のことで細部までしっかり覚えているのか自信がなかったから、1990年に私は日本へと渡った。私の最初の契約者に会って図面や書類を、可能なら手作りのプロトタイプを探すためだった。そして今私は完璧なほどの記録を手に入れるまでに至った。これはひとえに、親身になって協力してくれた与儀商会の社長、田中ケイ氏のおかげである。
 1963年6月、私はCISOの副局長に就任した。CISOは厳重な機密管理下に置かれた組織で、CIDGプログラムを推める特殊部隊を兵站面からサポートする役割を担っていた。一方でCISOは限定的な調査や開発を行う権限も持っていた。CISOはPARASOL-SWITCHBACK計画(ベトナムにおける活動の権限をCIAから軍部に移管するための計画)のもとで、CIAから業務の権限を与えられていた。SOGが活動を開始した1964年には、CISOはSOGの傘下の組織として置かれた。そしてSOGが行う任務の性質上、刻印が表記されてない装備(いわゆる“ステライル”、素っ裸の意から、無刻印の装備品や衣服に対しSOG関連ではこの単語が頻繁に使われるし当時も使われてたのでは)の必要性が生じた。もちろんナイフやマチェットも例外ではなかった。
 初期の需要に対してCIAはヨーロッパ製の装備を支給することで答えたが、ローカルメイド並の質でしかない粗悪なものであった。特殊部隊の隊員たちは皆「究極」のモノを欲していた。だから、わたしは彼らが受け入れてくれるような実用的なナイフの開発に着手し始めることにした。
 まず取っ手のデザインは、 “マーブルズ グラッドストーン スキンナー”をもとにした。1920年代のビンテージナイフで、鞣し革の取っ手が理想的だと思ったのだ。そうしてこれをSOGナイフの研究資料の一つとした。開発の大部分が取っ手の開発に傾けらることになったのは戦闘などのハードな状況下で予想される劣悪なコンディションでも確かなグリップを得ようとしたからで、結果的にそれが私の最初に行き着いた答えだった。試作品のテストが沖縄で現実的な状況下の下に実施され、最終的に取っ手の形状はユーザーの細い指にフィットするような緩やかなカーブのギザギザになった。使用時に最大限のコントロールができるように、最もさやに近いくぼみは人差し指をフィットさせるような位置とした。このさやのおかげで手の完全なガードが可能となり、刃は両刃とした。さや柄頭は真鍮や鉄製だった。アルミのものもあったようだが、個人的に改造したものだろう。
 SOGリーコンナイフは7インチと6インチのものがあった。ガードが尖っているものが見られるがどちらも元々は丸みを帯びたものだった。オリジナルの形状のさやはそのとがった先端に重心のバランスを均等にする役割を持たせた。なお、CISO製のSOGナイフのガードにJAPAN とか書いてあるものは存在しない。

(2ページ目)

 私が発見した最適なさやは筋肉や軟骨に対するユーザーの強烈なねじりや引き抜きへの正確性も改善した。さらに、てっぺんと一番下の平らな部分の組み合わせを強く握れることで、ユーザーのさらに強いねじりや曲げの要求にも耐えられた。これら2つの組み合わせは私の知り合いの農家の豚の殺豚場を借りて行った試験で実証された。ブレードを押し込む力はしっかりと皮膚を貫通し首の奥深くまで達した。胸部や軟骨に刺すとナイフが喰いつくので、しっかり引き抜く必要があった。フラットな刃と二重のさやの組み合わせは、問題を見事に解消してみせた。自然と我々の関心事は装備やジャケットを来た敵兵を刺したときにどうなるかということに向けられた。また、くぼみの追加により血が付着して滑りやすくなった状況でも良好なグリップを維持できるようにした。
 長くずっしりした中子は重要な要素だった。これのおかげでナイフの重心をガードの周辺に維持できた。重さという要素もまた、ユーザーの信頼を確かにするものだと私は信じていた。私はナイフのデザイナーではないが、しかしこれは隊員の任務で使われることになる大切なものだから、刃の製作には必死で臨んだ。これは敵側にできるだけ最悪な深傷を負わせ、少しでも早く死に至らしめる作りでなくてはならないからだ。
 厚さ1/4インチの鋼板から切り出された何枚ものブレードは油で焼き戻しがなされたのちに、2分割したグリップがテープで巻いて取り付けられた。この試験片は持ったときの感覚や重量のバランス、切れ味などのテストを受けた。この日、ロス・ベイリー曹長はシダやヤシの木でテストをしたが、刃先のふくらんでいる部分を見るや「くそナイフばかりじゃないか」と言い、決して妥協させてはくれなかった。
 刃の先端を鋭くすぼませて試作した刃先の方も、引き抜きは楽であったものの、上記のへこんだ刃先と同様、却下された。加えて、ブレード下方の反りは振り回すときの軸に影響してしまうため、ブレードの根本の部分が僅かな力を加えただけでも大きく破損する結果となった。新しく作られた7インチのブレードはコンバットナイフとして戦闘に特化したつくりとなっていて、その長さからより深い刺し込みが可能であったものの、

(3ページ目)

切り傷があまり大きくならなかった。6インチモデルはより実用的なモデルで、刺し傷は浅くなったものの大きな切創をのこすことができた。この検証は豚を用いたテストで証明された。
 7インチ「リーコン」モデルはSOGの工作員や越境任務に従事するリーコンチーム向けに特化して作られたものである。死と隣合わせの凄惨なCQBを体験したSOGの隊員は前述した理由から、より大きな刺し傷を与えるナイフを要望した。これは恐らく、東南アジアにおける我々の部隊に支給された中で最もレアで、貴重なナイフだったであろう。先に述べた珍しい深紫色のブルーイングが施されたブレードのナイフは、より長く、より強度のあるナイフをとの要求にどこかのメーカーが応えようとして、機械的性質を保とうと徹底的に熱処理をした結果うまれたのだろう。濃い紫色をしたブレードは偶然の産物であり、他に同じタイプの生産型がいくつもある訳ではない。
 ナイフシースははじめはキャンバス生地だったが、茶色の革に代えられ、最終的には黒革になった。ナイフを固定するためのストラップは下に傾けられており、ボタンを外さなくても片手でナイフを取り出せた。砥石のポケットは両側から縫われ、鋲打ちもしてあり頑丈であった。
 とはいえ最終的に、デザインというものはユーザーが受け入れてくれないと意味がないのである。SOGから来た5thSFGの隊員が試験モデルの完成型をテストした。そして1964年6月6日、プロトタイプを製造するための図面が日本の製造契約社へと送付された。あるメーカー(日本刃物?原文はJapan Sword)は使用する鋼の品質が劣悪すぎたためCISOに契約を破棄された。我々が選択した素材はSKS-3という強力なクロムモリブデン鋼(調べたらSKS3はJIS規格の合金工具鋼を表す記号でした。工具鋼ってボルトとかに負けないようにすんごい強度もたせてあるんですよね。そら強いわ…)で、Rc(硬度を表す数値、50代は鋼として相当強い数値だとか)55~57になるように、ソルト焼き入れと油焼き入れ(焼き戻し?)をダブルで使って仕上げた。(この焼入れ方法は液体の中で浮力が有るのと、冷却が油に比べ高い温度で出来るため変形が少なく仕上げられる為、油冷鋼の焼入れに適しています。空気による酸化を受けず、酸化皮膜を 最小に抑えることで、均一に熱処理を行うことができるので組織の安定化が出来ます。…だそうです。勉強になりました)。最初のSOGナイフの製造は日本のヨギ商会という企業が行い、この際の製品名称は“Knife, indigenous, RECON, 7", w/scabbard & whetstone”で、刃渡りは7インチ、生産数は1,308振り、値段は9.85ドルであった。そのうち8振りは明るいブレードを持つ“CISO-2,SOG-5,CIA-1”というものであった。
 1966年10月にSOGはステライルの6インチブレードのナイフと黒革シースを8.4ドルの単価で1200セット発注した。そのうち相当数の個体がクロムメッキとプレゼント用の刻印が施された。私も1つ持っている。私の誇りだ。1967年3月にはさらに3700振りが追加で発注され、名称は“Knife, indigenous, hunting, 6", w/black sheath and whetstone”とされた。これらは管理上の都合からロットナンバーが刻印されたが、やはり他に一切のマーキングも施されなかった。「インディジナス」というワードは、地方のお役所の目を欺くために使われたワードで、ステライルで生産される装備に対して付されたひとつの標識であった。(ということはインディジナスラックサックもプロジェクト・インディジナス・レーションの名前もそういうことなんですね~)

(4ページ目)

最後の引き渡しは1967年11月であった。全てのナイフは同じ企業によって製造されたものと私は考えている。
 1967年に5thSFGはCISOに対して、式典(訳せず Mess Association 食事会的な?会食?) に用いる寄贈品のナイフが欲しいので、グリーンベレーの紋章と中央下段の“VIETNAM”の文字と共に、“5th SPECIAL FORCES GROUP(Abn) ”と刻印されたナイフを1700振り発注できないかと要望してきた。CISOはこれに応え、1968年1月に日本製のナイフを5thSFGに出荷した。
 CISOの最もユニークだったナイフは、ダナンに拠点を置かれたSOGの海軍アドバイザー分遣隊(NAD)に供給されたもので、広い両刃のブレードは全体が刃になっていて1cm弱の根元をもち、カーブしたのこ刃がブレードの背中側に付いていた。素材は当時の技術水準における最高品質のステンレススチールを素材とした。“Knife Indigenous, SCUBA/DEMO NAD, 7 1/4" ”という名称で製造された39振りはもちろん全てがステライルで、丸い砥石と茶革のシースとセットで出荷された。そのうち1つはCISOが受領し、残り38振りはOPLAN-34A(Alfa)に従事したNADへと引き渡されたのだが、後日わたしが聞いたところによると、NADは36振りを作戦によって失ったのだそうだ。


(5ページ目)

 さて、ここまでSOGや特殊部隊向けにCISOで製造されたナイフを解説してきた。それ以外にも、1972年にはタイの統合戦死者回収センター(JCRC:インドシナ半島全体の行方不明軍人を捜索し、生死および死亡していた場合の状況の調査を主な任務とした部隊。戦闘部隊ではなかったが、任務の為に前線を超えて活動を行わねばならないことも多かったらしい。デルタフォース創設者のチャールズ・ベックウィッズ氏も一時この組織の指揮を執ったのだとか。)に対しても50振りのステライルナイフが支給されている。注意しなければならないことは、いくつかのメーカーが関与したが、その企業のほとんどが長続きしなかったので、ナイフの芯やつばに見られるデザインの細かな差異はメーカーの交代のために起きた偶然である。この差異が廃棄などの基準になることはなく、不合格になるのはせいぜい品質の悪い鋼材を使ったケースくらいであった。とは言えCISOは弾性や強度のテストをしたくらいで、成分の分析のような大がかりな試験はしなかった。我々はリチネンという企業に信頼をおいていた。ヨギ商会はユーザーから得られた意見反映させる品質管理の役割を担った下請け会社であった。
 これらのナイフは“SOGナイフ”だとか“CIAナイフ”などと呼ばれ、確かに聞こえはいいかもしれないが、厳密にはどちらも間違いだ。CISOナイフにはたっっくさんのリプロダクションが存在するが、中にはオリジナルより高品質なものまであったりする。わたしが解説したナイフこそがオリジナルであり、そのことをもう少し考慮して欲しい。ホンモノのナイフは、わたしが共に働いて、共に飲んで、笑って泣いて、ふつつかなわたしの失敗を許し、受け入れてくれた、あのSOGや、5thSFGの隊員たちのためだけに作られたものなのだ。仮にもしわたしのナイフが役に立って、だれか1人の命でも救うとか、彼らの務めががよりはかどったのだとしたら、わたしはそれだけで幸いである。

〔Note:編集者が以下の点について注釈をさせて頂きます。
・ナイフと関連してベイカー氏が説明したSOGの話には少し誇張表現があります。グリンベレーは幾千もの作戦を遂行したものの、CIDGの人数は6万人ほどでした。
・7インチのリーコンナイフはSOGのためだけに設計されました。SOGが最初に6インチを要求した理由は、ステライルを主な理由とすることでより高値で価値のあるモノにすることが目的でした。
・アルマーナイフとベイカー氏は、彼のデザインしたSOG向けのタイプをリスペクトし現代においてコラボしています。〕






…という内容でした。リーコンナイフのバリエーションをまとめると




“Knife, indigenous, RECON, 7", w/scabbard & whetstone” ×  1,308 EA







“Knife, indigenous, hunting, 6", w/black sheath and whetstone” ×  4,900 EA







5th SFG Presentation Knifes ×  1700 EA




他にも




“Knife Indigenous, SCUBA/DEMO NAD, 7 1/4"               ×   39 EA







Indigenous Recon Bolo Knife  (バナナナイフ)        ×   いっぱい







Presentation Indigenous Recon Bolo Knife (寄贈用バナナ)       ×   ぼちぼち







などが、CISOの携わったナイフです。
ボロナイフは雑誌では触れらてないですが、おまけ。

あと、PDFの最後のページで右にいるおっさんが前回のCISOの記事で言った
CISO局長に就いた大佐の方です。この人の他にも何人か交代でポストに就いたでしょうねえ。  

Posted by ながせ(Kingbee) at 20:55Comments(2)EquipmentsCISOKnifes

2014年05月09日

CISOとは

【概要】

まだCIAがベトナムでの活動を監督していた60年代初頭、CIAは特殊部隊や工作員が使う消音器付き火器や無線傍受機などは

沖縄のキャンプ知念に置かれた「極東支援基地局」を通じて調達されていました。

これらの物品は追跡されないようにするため、現場に引き渡された時点で基地局の台帳から物品の存在そのものを無かったことにするシカケになっていたそうです。

ピッグス湾事件の後の1963年末期、パラソル/スイッチバック作戦が開始され

ベトナムにおけるアメリカのプレゼンテーションはCIAから軍の主導へと移管されます。

そしてSOGが発足し活動を開始した1964年初め、SOGの傘下として、ある組織が沖縄に開設されました。




(製作した装備と中国製の火器と共に記念撮影するCISOスタッフ)

CISO / Counter-Insurgency Support Office(対反乱支援センター)

CISOはCIDG計画とSOGで活動する特殊部隊や付随する南ベトナム軍特殊部隊を兵站面からサポートする役割を担った組織です。

彼らが使用した装備のうち多数が、このCISOを介して支給されたものでした。

SOGが行う越境作戦という政治的にグレーな任務ではその性質上、物品番号などの表記がされてない

“アントレーサブル(ステライル)”の装備品を使用する必要性が生じました。

untraceableは物品番号などから製造元を割り出せないようにすること。
sterileは「素っ裸」の意。無刻印の装備品や衣服に対しSOG関連の書籍などで頻繁に使われる表現です。現場でもこの単語が使われてたのでしょう。



他にも

・アメリカ製のブーツやユニフォームの寸法が東南アジア人の体格にフィットしない
・現行の装備で任務に即したものが無い
・レーションの食文化が合わない
・そもそも部族はレーションの説明書きが読めずメニューも理解できない

などなど、既存の規格品では対応できないさまざまな問題が存在しました。

そこで特殊部隊では、CISOによって新しいアイテムを独自に設計・開発し、アジアの民間企業と契約して生産させ

CISOの補給処に集約・管理し現地へ送る、という特殊な補給ルートを形成するという手法がとられました。




【体制】

任務の性質上、組織は厳重な機密管理下に置かれていました。

CISO発足時は

・尉官1名(大佐)
・軍曹1名
・5~6人の現地人スタッフ

という人員の内訳だったそうです。

SOGやCIDGの増大する需要に応じて徐々に規模を拡大し、現地人スタッフ100人を雇った補給処を持つに至りました。

そしてCISO専用の揚陸艇船団9隻までも所有し、那覇港からニャチャンへと、特殊部隊の要求した物品を送り続けていました。

ニャチャンにはフィリピン人スタッフが務める巨大な補給支援センターがあり、送られた物品はそこに集積され

CIDGや特殊部隊隊員たちはCIDGで一般的に使った装備品が簡単な物々交換で手に入れることができました。

使用できなくなった装備は補給センターに渡せば書面の手続きなどもなくその場で交換できのだそうです。

特殊部隊のDepoでは過去にCIAがとった

「一度資金や装備品がエンドユーザーにサインされたら物品管理の台帳から記録を消してよい」という姿勢に賛同していたので

陸軍の物品管理資料レギュレーションは無視することができ、記録は残されませんでした。





【CISOの“Q”】


(1967年 CISO前にて)

1963年6月 CISOの副局長に就任したNCOは

Sgt. Conrad Benjamin “Ben” Baker / コンラッド・ベンジャミン“ベン”ベイカー軍曹 という人物でした。

CISOはこの1人の軍曹によって成り立っていたと言っても過言ではありません。

限定的な調査や開発を行う権限も持っていたCISO、というかベイカー氏はしばしば新しい装備品を設計しました。

有名なSOGナイフ(正式にはリーコンナイフ)の他に、バナナナイフ、CISOインディジファティーグ、

CISOインディジラックサック、PIRレーションなど、SOGおなじみのさまざまなアイテムを開発しています。

驚くべきことに、彼のものづくりの技術は全て独学だったのだそうです。





1963年、Plei Mrongにて、ヤードの彫刻(お墓?)の前でポーズをキメてるベイカー氏

本人いはく、彼のお気に入りの武器はM2A1カービンだったそうです。




1968年のニャチャンにて、ベイカー氏がテト攻勢時に鹵獲したNVAの武器や装備を5th SFGのメンバーと共にチェックしていることろ。





戦後の姿。

持っているのは氏が要請に応じて開発した部族向けのLRRPレーションといえる「PIRレーション」

コメが中心のメニューで、個々のパッケージの説明書きには文字を一切使わず絵のみが書かれているのだとか。

この写真で見た感じだと、CISOの物品には極秘で作られたと言ってもFSN(物品番号)の登録はされていたみたいですね。

品物自体に刻印や記載はしなかっただけで。



【CISO供給品一覧】

別に一覧表があるわけではなく文献やサイトの書き込みで「CISOにより開発されたor調達された」

という記載があったものを、備忘録かねてこちらに随時列挙していきたいと思いますので参考にどうぞ。



【衣服】
・タイガーストライプ      ・ブラックパジャマ       ・インディジナス隊員用ファティーグ
・NVAユニフォーム(サンヘルメットからブーツまで一式)

【ギア】
・ロングマグポーチ      ・ユニバーサル型マグポ   ・STABOハーネス
・インディジナスラックサック ・
・各種NVAポーチ

【武器】
・7インチリーコンナイフ    ・6インチリーコンナイフ     ・ボロナイフ(マチェット)
・AK用30連弾倉       ・V40グレネード


【その他】
・PIRレーション        ・ポンチョ            ・ラペリング用薄手レザーグローブ 
・リーコンウォッチ       ・盗聴器や各種センサー
  

Posted by ながせ(Kingbee) at 14:34Comments(6)SOGCISOEarly Times/CIA

2014年05月03日

XM177 クリーニングロッド納得?編

むこうの掲示板でこんな書き込みを見つけたのでアゲ。


fob1


解説によると

This was one of the hooch maids at FOB 1. We took her to the firing range one day and she out shot everyone on the team. In this photo she is holding my CAR-15, which has a braided sling made from a couple of medical cravats. The two sections of rod taped to the barrel is a cleaning rod in case of jammed cartridges. If a cartridge got jammed in the breach we would put the rod down the barrel and jam it against a rock or tree to free the cartridge.

FOB1にあった酒蔵の1つで撮られた写真だよー
その日はチームメンバーみんなで彼女を射撃場に連れてって撃たせたよー 彼女うまかったよー
写真のCAR-15はおれので、2枚の三角巾を編んでスリングにしてるよー
2セクションの長さ(追記 M16用のクリーニングロッドは3分割できる、CAR15の場合2本分の長さがちょうどいい)にしたクリーニングロッドがバレルにテーピングしてあって、ジャムった薬きょうをとるんだよー
もしジャムったらバレルにロッドを突っ込んで、岩とか木に叩きつけて薬きょうをとったんだよー

てなことらしいです。ロッドの詳しい使い方がわかったぞー!




(彼がIDAHOに来てから初ミッション参加したときらへんの写真)

この写真はSOGの中でも情報が多くて有名?なRT-Idahoに1968年に 在籍した

Lynne M. Black Jr.さんが撮ったものらしいです(ジョジョ立ちしてるひと)

SOGを調べてるとよく出てくる「Modernforces.com」のサイトの人にインタビューされてたみたいで、その内容もかなり為になりました。

ポケット、ギア、ラックサックの中身とか、

空マグはどうしたの?基本訓練のとおりポケットに入れてたの?とか。




(キャーリンサーーン!グレネードランチャー似合ってますー!)

余談ですがRT Idahoはとにかくイケメン隊員が多いので個人的に気に入ってます(殴  

Posted by ながせ(Kingbee) at 19:12Comments(7)XM177Weapons

2014年03月26日

Leghorn

ベトベトに参加される皆さんのUPされたカックイイ装備を見てたら、私もテンションがあがって参りましたよ!

ですので私も装b… と行きたいところですが

相変わらず手元になんにもないので、

今回はOPS-35のオハナシをしたいと思います。






1967年 あるひとりのグリーンベレーによって、ラオス南部の小高い山の山頂に

FOB2 Kontumと、ラオス奥地へと潜入するRT(リーコンチーム)とを中継する

ひとつの無線リレーサイトが築き上げられました。





彼の名は Sfc. George Ken Sisler / ジョージ ケン シスラー1等軍曹 

―OPS35を語る上で欠かせないキーパーソンのひとりです。

1966年11月にRT(リーコンチーム)コロラドの1-0となりチームを率いることになったシスラー氏は

1967年2月7日の戦闘で敵の銃弾に倒れ、その死後にSOG史上初のM.O.H.を受章しています。




(CCC / FOB2 Kontum ヘリポート)

1965年の冬に始まったSOGリーコンによる越境作戦はその有効性が確認されると、1966年にかけてその規模は拡大され、
戦域はより広範囲へと広がり、南ベトナム各地にローンチサイトであるFOB(Forward Operation Base)が建設されていきます。

Kontumに位置する中部のかなめであるFOB2では、戦域がしだいにラオス国境のさらに奥へと延び、
敵地へ浸透するRTととの距離が遠く離れたため、鮮明な無線のコンタクトを常に維持することが難しくなってしまいました。
これは、非常事態に陥ったときに直ちに救援を要請しなければならないRTにとってまさしく死活問題でした。






このころ、RTコロラドの1-0に就きチームを率いていたシスラー氏は、南ラオスの国境から10マイルに位置するひとつの岩山を発見しました。
標高が1000mに達し、切り立った地形と良好な視程を得られるこの地形を視て
「この岩山なら、いつまでも占拠し続けられる」と確信したシスラー氏は
この山を占拠し、無線中継地点にあてれば電波障害の問題を解決する案を
当時のSOG長官だったシングラーブ大佐に対し意見具申をしました。
そしてその案が認められると、1967年1月15日
シスラー氏率いるRTコロラドは例の頂を占拠したのでした。

後にレッグホーンと名付けられるこの岩山は、絶妙な場所に位置する無線中継地点となったのです。





彼らはヘリで機材や土嚢袋、防御用火器、食糧、PRC-25などを山頂に持ち込むと、陣地を作成し始めました。

それと並行して、シスラー氏は当時のOPS35の司令であったハロルド J. ローズ中佐をレッグホーンに実際に招き、
現場を見せて本人にレッグホーンの状況を確認してもらったりもしていたようです。




James D. Bath シスラー氏と共にレッグホーン入りした、同じRTコロラドのメンバー
朝鮮戦争のころのスコープを、どうやったのやら、ハンドガードをぶったぎってレシーバーの上に
直でつけてるように見えます。おもしろいですねー。

山の下のジャングルからは行き交うトラックの音が響き渡っていました。
どうやらレッグホーンはトレイルのすぐ近くに位置していたようです。
実際、そこから西に9km先にはトレイルの主要な幹線道路であるルート96がありました。

トレイルが近ければ付近に敵の拠点がある可能性が高いです。
そのためレッグホーンは敵無線の傍受にも最適な環境でした。
NSAの無線傍受員が常駐し
敵側の無線を相当な量傍受することに成功したそうです。






1970年の様子
陣地もどんどん進化してます。最初は岩陰に数十個の土嚢を積んでた程度だったのが、
数年もすると土嚢でバラックやヘリポートが出来てます。
シスラー氏の亡き後は、FOB2に配属されたグリーンベレーがローテーションを組んでレッグホーンを守っていました。
アメリカ人2人と数名のヤードでローテに就いたそうです。
補給は完全にヘリの空輸に頼っているので、LZの周辺は土嚢がびっしり敷き詰められ整備されています。
(それにしても10人ほどの人数でこれだけの土嚢を、しかもこんな場所で…頭が下がる思いです)





材木をヘリで吊って運んだみたいですね。こんな長いのどーやって使うのやら…。





見てください。壁がCレーションのですよ!
本人たちは意識してないでしょうけど、こういうのってロマンだと思いませんか。
まるで子どものころに作った秘密基地みたいじゃないですか~。





占拠から4年後、1971年のレッグホーンの姿
完全に要塞化してます。





なんかでっかいアンテナが建ってます。





山頂の朝は冷えるのでしょうね。
ベトナムでスウェット着てますよ。





そして60mm撃ってます。なんかシュールだなあ…。

散発的な敵の迫撃砲や接近を経験することも少なくなかったそうですが
狭くとがった山頂の地形のため敵の迫撃砲はほとんど当たらず、
敵が迫ってきても、A-1スカイレイダーやヘリの航空支援を呼べば大抵は退けられました。
こうしてレッグホーンは、ほぼ無傷のままSOGとNSAの職員によって1972年の3月まで使われ続けました。
そしてその月には自分たちの手で陣地を処分したと言われています。





調べてて思うんですが、レッグホーンは写真が結構多いんですよ。
もの珍しかったのか、他にすることがなかったのか。
70年代の写真は戦場にはもってけないようないいカメラで撮ったとしか思えない鮮明なものがありますし。

レッグホーンの勤務で2週間過ごした人が彼のサイトで
「felt pretty secure up / 安心して過ごせた」と回顧しています。
別の人は「2週間の勤務中、とにかくすることがなかった。せいぜい発電機のオイルを補充したり燃料入れたりしたくらいだ。
ラインバッカーでハノイへ向かうB-52のクルーと無線でしゃべったりもしたなあ。」と言ってます。どんだけヒマだったんだ!

ほかに写真を探しても、ペットのサルと遊んでたり、ダラダラしてたり、けっこーラフに過ごしてた様子が見えてきます。
Leghornでいろいろググると面白いです。
おもしろい画像が見れたり、なぜかイスラエル人がやたら詳しかったり、掲示板で元SOGの方がフツ―に語ってたり






あとそこに、あきらかに最近撮ったとしか思えない写真が。
2006年に現地の人が鉄を売ってお金にしようと
レッグホーンに放棄されてた資材を持って行ったらしいのです。
「歴史的な場所だからそっとして欲しい」「アメリカの跡を消したがってる?」「そうかもだが自分の生活がかかってるしな」
なんて会話がされてました。




だいぶ脱線しましたけれど、以上がレッグホーンの概要でした。
シスラー氏についてもおいおいまとめたいと思います。

  

Posted by ながせ(Kingbee) at 00:11Comments(3)SOGLaosLeghorn

2014年02月05日

YS-11~傑作機とは何か




「Shipは、そのユーザーと共に育つ生き物である」

こんな言葉があります。
どんな傑作機でも必ずどこかに設計上洗いだせなかったミスがあったり、経年変化で突然現れる故障が出たりするものです。
どんな種類の機械にも存在する、バスタブ曲線ってやつですね。




エアラインによって運航されている中で発生したあらゆる不具合、また整備性向上のための新しい整備方法の提案などは
エアラインからメーカーへと伝達され、メーカーが管理するメンテナンスマニュアルはWeb上で改訂が行われ…
不良部品は改良品に交換され、適当でなかった整備の方法などは次第に良いものへと改善されていきます。
こうして航空機は日を追うごとに改良され続け、信頼性が確立されていくのです。

(例:ANAの整備子会社が客室内内装の整備方法に改善の余地を発見→シアトルのボーイングに改善を提案→ボーイングはマニュアルを改訂し
新しい整備方法が記載される→改訂を各エアラインに通知、同機体を扱う全ての整備士はマニュアルに必ず則って整備するため
その型式の航空機全体の品質が向上する)



最近ですとB787のバッテリートラブルが記憶に新しいと思います。
マスコミの過剰な扇動で何も知らない人たちは言い表せない不安を抱き、かと思えば半年もしたら誰も覚えてない…
半世紀以上も大型機を作り続けて来た世界で最も経験豊富なボーイングでさえ新しい機体を設計すれば使用するうちにどこかで欠陥は見つかるもの
1世代前のB767が1980年代に就役した際も、なんだか知りませんが同じようなマスコミの過熱報道があったとか聞きました。歴史は繰り返すものですね。
というわけで、運用が始まってから初めて浮かび上がる、ああいった事案はどんな航空機でも必ず起きているのです。
単に1つトラブルがあったからB787が欠陥機だとかそうでないとか決めつけるのは、議論が飛躍しすぎでは?





旅客機設計のノウハウのないド素人(失礼だが間違いではないはず)が設計したYSの初期不良なんてこんな比じゃなくて
もっともっとひどかったらしいです。
最初の5年は欠陥だらけ、エアコンの水分が分離できず送風口から水が垂れたアレとかもう色々あって現場は大変だったと聞きます。
またエアコンの温度調節バルブの操作とかコクピット風防の防氷ヒーターの温度制限とか計器類の作動とか
操作面でクセがある機材やシステムが多く、慣れが必要な難点がYSにはけっこうあったなどとも聞いています。


巷ではYSが名機だったのか、駄作機だったのかよく議題にあがってますけれど
「戦前の軍用機の設計者が関わったからカッコいい」
「無の状態から作り上げた戦後初の国産機であって誇り高い存在、だから名機」
「高い信頼性があったらしいから名機」だとかまあ好き勝手言って…
そんなの結局何にも基づいてない、ただのひこうきファンのセルフオナニーにすぎないじゃないですか。
どうぞ勝手に誇らしげに語っててくださいよ。

松本零士がプロジェクトXでそんな事かたったりしてて、まあ胸が熱くなる気持ちはわかるんですけど、少し冷静になりなよと。
そういうドラマはヌキにして、ちゃんとしっかり考察してほしい。YS-11というメカ単体を他の機体と比較して見るのはもちろん
機体の性能・構造からアフターサービスまでを含めて運用者のニーズに応えた運航しやすい機体だったのか
国家の威信がかかった航空産業という一つのビッグビジネスとして、マーケットに対しどう挑んでいったのか
ちゃんと論理的になって考えたら答えは1つに絞られるはずです。

YSは…



残念ながら操縦面でも整備面でも運用面でも扱いづらい機体だったようです。
安全係数3倍とかって数字のおかげでメチャメチャ頑丈、かつシンプルでタフだった面は評価されていますけれど(この時点ですでに民間機じゃなく軍用機の性格になってるじゃん!!)
おかげで重たいんですよ。民間機は軽くてなんぼじゃないですか。
エンジンの出力が足りてなかったとパイロットが語ってたそうです。



さっきから叩いてばっかだ!そろそろヨイショしないとな!
わ、YS-11は戦後初の国産開発に成功した旅客機で我々日本人の誇りですっ!


って結局こーなるんかい!!!w






余談

プロジェクトXで前編・後編の2部構成でYSのストーリーが語られてますけれど
編集当時2000年初め?ごろにまだJACというエアラインで飛んでたYSの映像が作中で流れます。
その映像に映るYS…実はその後退役したのちに教材として私の母校にやってきたYSなんですよ。




座席全部とっぱらってあり中の構造が全て見える状態になってました。隅々まで学んだ思い入れのある機です。
なので映像に映る“8805”の機番(登録記号という4ケタの数字、外板に書かれてる)見た時は、それはもう嬉しかったですね。


ミリブロなのに航空機とか路線ずれ過ぎにもほどがありますけれど
ミリタリーばっかでは私の息が詰まるので、まあ息抜き程度にこれからもぼちぼち書いていこうと思います。  

Posted by ながせ(Kingbee) at 20:05Comments(4)YS-11