2014年03月26日

Leghorn

ベトベトに参加される皆さんのUPされたカックイイ装備を見てたら、私もテンションがあがって参りましたよ!

ですので私も装b… と行きたいところですが

相変わらず手元になんにもないので、

今回はOPS-35のオハナシをしたいと思います。






1967年 あるひとりのグリーンベレーによって、ラオス南部の小高い山の山頂に

FOB2 Kontumと、ラオス奥地へと潜入するRT(リーコンチーム)とを中継する

ひとつの無線リレーサイトが築き上げられました。





彼の名は Sfc. George Ken Sisler / ジョージ ケン シスラー1等軍曹 

―OPS35を語る上で欠かせないキーパーソンのひとりです。

1966年11月にRT(リーコンチーム)コロラドの1-0となりチームを率いることになったシスラー氏は

1967年2月7日の戦闘で敵の銃弾に倒れ、その死後にSOG史上初のM.O.H.を受章しています。




(CCC / FOB2 Kontum ヘリポート)

1965年の冬に始まったSOGリーコンによる越境作戦はその有効性が確認されると、1966年にかけてその規模は拡大され、
戦域はより広範囲へと広がり、南ベトナム各地にローンチサイトであるFOB(Forward Operation Base)が建設されていきます。

Kontumに位置する中部のかなめであるFOB2では、戦域がしだいにラオス国境のさらに奥へと延び、
敵地へ浸透するRTととの距離が遠く離れたため、鮮明な無線のコンタクトを常に維持することが難しくなってしまいました。
これは、非常事態に陥ったときに直ちに救援を要請しなければならないRTにとってまさしく死活問題でした。






このころ、RTコロラドの1-0に就きチームを率いていたシスラー氏は、南ラオスの国境から10マイルに位置するひとつの岩山を発見しました。
標高が1000mに達し、切り立った地形と良好な視程を得られるこの地形を視て
「この岩山なら、いつまでも占拠し続けられる」と確信したシスラー氏は
この山を占拠し、無線中継地点にあてれば電波障害の問題を解決する案を
当時のSOG長官だったシングラーブ大佐に対し意見具申をしました。
そしてその案が認められると、1967年1月15日
シスラー氏率いるRTコロラドは例の頂を占拠したのでした。

後にレッグホーンと名付けられるこの岩山は、絶妙な場所に位置する無線中継地点となったのです。





彼らはヘリで機材や土嚢袋、防御用火器、食糧、PRC-25などを山頂に持ち込むと、陣地を作成し始めました。

それと並行して、シスラー氏は当時のOPS35の司令であったハロルド J. ローズ中佐をレッグホーンに実際に招き、
現場を見せて本人にレッグホーンの状況を確認してもらったりもしていたようです。




James D. Bath シスラー氏と共にレッグホーン入りした、同じRTコロラドのメンバー
朝鮮戦争のころのスコープを、どうやったのやら、ハンドガードをぶったぎってレシーバーの上に
直でつけてるように見えます。おもしろいですねー。

山の下のジャングルからは行き交うトラックの音が響き渡っていました。
どうやらレッグホーンはトレイルのすぐ近くに位置していたようです。
実際、そこから西に9km先にはトレイルの主要な幹線道路であるルート96がありました。

トレイルが近ければ付近に敵の拠点がある可能性が高いです。
そのためレッグホーンは敵無線の傍受にも最適な環境でした。
NSAの無線傍受員が常駐し
敵側の無線を相当な量傍受することに成功したそうです。






1970年の様子
陣地もどんどん進化してます。最初は岩陰に数十個の土嚢を積んでた程度だったのが、
数年もすると土嚢でバラックやヘリポートが出来てます。
シスラー氏の亡き後は、FOB2に配属されたグリーンベレーがローテーションを組んでレッグホーンを守っていました。
アメリカ人2人と数名のヤードでローテに就いたそうです。
補給は完全にヘリの空輸に頼っているので、LZの周辺は土嚢がびっしり敷き詰められ整備されています。
(それにしても10人ほどの人数でこれだけの土嚢を、しかもこんな場所で…頭が下がる思いです)





材木をヘリで吊って運んだみたいですね。こんな長いのどーやって使うのやら…。





見てください。壁がCレーションのですよ!
本人たちは意識してないでしょうけど、こういうのってロマンだと思いませんか。
まるで子どものころに作った秘密基地みたいじゃないですか~。





占拠から4年後、1971年のレッグホーンの姿
完全に要塞化してます。





なんかでっかいアンテナが建ってます。





山頂の朝は冷えるのでしょうね。
ベトナムでスウェット着てますよ。





そして60mm撃ってます。なんかシュールだなあ…。

散発的な敵の迫撃砲や接近を経験することも少なくなかったそうですが
狭くとがった山頂の地形のため敵の迫撃砲はほとんど当たらず、
敵が迫ってきても、A-1スカイレイダーやヘリの航空支援を呼べば大抵は退けられました。
こうしてレッグホーンは、ほぼ無傷のままSOGとNSAの職員によって1972年の3月まで使われ続けました。
そしてその月には自分たちの手で陣地を処分したと言われています。





調べてて思うんですが、レッグホーンは写真が結構多いんですよ。
もの珍しかったのか、他にすることがなかったのか。
70年代の写真は戦場にはもってけないようないいカメラで撮ったとしか思えない鮮明なものがありますし。

レッグホーンの勤務で2週間過ごした人が彼のサイトで
「felt pretty secure up / 安心して過ごせた」と回顧しています。
別の人は「2週間の勤務中、とにかくすることがなかった。せいぜい発電機のオイルを補充したり燃料入れたりしたくらいだ。
ラインバッカーでハノイへ向かうB-52のクルーと無線でしゃべったりもしたなあ。」と言ってます。どんだけヒマだったんだ!

ほかに写真を探しても、ペットのサルと遊んでたり、ダラダラしてたり、けっこーラフに過ごしてた様子が見えてきます。
Leghornでいろいろググると面白いです。
おもしろい画像が見れたり、なぜかイスラエル人がやたら詳しかったり、掲示板で元SOGの方がフツ―に語ってたり






あとそこに、あきらかに最近撮ったとしか思えない写真が。
2006年に現地の人が鉄を売ってお金にしようと
レッグホーンに放棄されてた資材を持って行ったらしいのです。
「歴史的な場所だからそっとして欲しい」「アメリカの跡を消したがってる?」「そうかもだが自分の生活がかかってるしな」
なんて会話がされてました。




だいぶ脱線しましたけれど、以上がレッグホーンの概要でした。
シスラー氏についてもおいおいまとめたいと思います。






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Posted by ながせ(Kingbee) at 00:11│Comments(3)SOGLaosLeghorn
この記事へのコメント
レッグホーン初めて知りました!
ラオスの無線中継基地って、もっとこっそりやってると思ってました。
こんなに堂々と基地作ってたんですねw

よく山岳地帯は寒いと聞くので、当時のデータではありませんがネットの天気予報でラオス南東部山岳地帯の年間最低気温見たら、10℃ほどでした。
確かにスエット着たくなる気温ですね。雨も降るでしょうし。
71年のラムソン719作戦でも、南ベ兵はみんなフィールドジャケット着こんでました。

FOB2/CCCってコントゥムという場所柄、明らかに隊員にデガ(ヤード)が多いですよね。
着ている服がCIDG向けのUSモデル(CISO発注)のグリーン戦闘服なのがそそられます。
Posted by タイガタイガ at 2014年03月26日 01:02
流石はMOHを受賞するような人だけあって、発想が自由ですよね。

東南アジアと言えど標高が上がれば、こっちの春先並に気温が下がるんですねぇ。勉強になりました。

あのパンツがピッチピチのところがいかにもデガっぽくて大好きです!
いつかファティーグでそれっぽくリメイクできたらな~と思ってます。
Posted by KingbeeKingbee at 2014年03月26日 12:02
Kingbeeさん
 Q州の気候には馴れましたか?
もし良かったら、時期はいつでも良いですが、今度、実際にコンタクトしてみませんか?
 良かったらメールしますんで、自分のblogからメッセージ下さい。
 
Posted by Q州の一匹狼Q州の一匹狼 at 2014年05月02日 08:14
 
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